ブレトンウッズ協定とは何だったか?

資産運用

コロナショックによる経済危機に対応するため、世界各国が過去に例を見ない金融、財政緩和を実施しています。その中で、中央銀行が実質的に大量に通貨発行を行っており、これにより通貨の信認が失われるのではないかとの懸念も起こっています。

通貨の価値というものを考える上で、通貨・為替の歴史を知る事は重要です。今回はブレトンウッズ体制についてみてみたいと思います。

ブレトンウッズ協定とは

1944年6月にアメリカのニューハンプシャーにあるブレトンウッズというところで開催された国連通貨金融会議で、44か国の代表により結ばれた協定です。

ブレトンウッズ体制のもとでは、金(ゴールド)が米ドルやドルにペッグされている他の通貨の基礎となります。

このゴールドを基礎とした通貨体制は、1970年代の初めに、当時のニクソン大統領が「米国はこれ以上、米ドルとゴールドを交換しません」と発表して事実上の終わりを迎えました。

ブレトンウッズ体制の仕組み

ブレトンウッズ体制は、「国際的な経済成長の促進」と「効率的な外国為替システムの構築」を目的としていました。

1970年代に、ブレトンウッズ体制はなくなりましたが、その際に作られたIMF(国際通貨基金)と世界銀行は、現在も、国際的に重要な役割を持つ組織として機能しています。

この体制の主要な立案者は、著名なイギリス人エコノミストのジョン・メイナード・ケインズとアメリカ財務省のエコノミストであるハリー・デクスター・ホワイトです。

ケインズは世界的な中央銀行の創設と、新たに国際的な準備通貨を作る事など抜本的な制度変更を望んでいました。一方、ホワイトは、ケインズよりはマイルドな考えで、世界的な貸し付けファンドの創設と、新しい通貨ではなく米ドルに今までより大きな役割を与える計画を望んでいました。結果的に、両者からアイデアをとって制度は作られましたが、ホワイトの計画に、より傾いたものとなりました。

ブレトンウッズ体制が完全に機能するようになったのは1958年からです。ゴールド1オンスに対し、米ドルを35ドルに固定し、体制内の他の国は、米ドルの価値にペッグされる形となりました。

ブレトンウッズ体制の利点

ブレトンウッズ体制の採用により、国境を超える貿易が促進される事が期待されます。すべての通貨をペッグする事により、商品やサービスを取引する際、また、資金調達を実施する際に通貨の安定性が確保されます。

体制内のすべての国は、米ドルに対し1%範囲内で為替レートを固定する事が求められます。そのために、米ドルを必要に応じ購入、または、売却します。ブレトンウッズ体制は国際的な為替レートのボラティリティを最小化し、国際的な貿易関係の促進や、世界銀行を中心とした貸付を効果的に行う事をめざしました。

ブレトンウッズ体制の崩壊

1971年、ドルの流通量をカバーできるだけのゴールドの確保が難しくなり、ニクソン大統領は米ドルのゴールドに対する切り下げを行いました。そして1973年、ブレトンウッズ体制は、先に述べた通り、崩壊しました。

体制に参加していた国々は、その後、ゴールドにペッグするという方法以外であれば自由に外国為替の制度を決める事ができました。例えば、他の国の通貨にペッグさせたり、自由な変動相場制への移行もその一つです。

ブレトンウッズ体制は崩壊しましたが、体制により誕生した二つの機関であるいIMFと世界銀行は、第二次世界大戦の余波から、ヨーロッパの復興を支援するという重要な役割を果たし、現在も世界経済の発展のために活動しています。

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